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パリ入城式&戴冠式④

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オルガン演奏と布地天国

サン・ジャック教会の向かいまで来ますと、皆様は右方面に、タピスリーで装飾されカーテンで覆われた高台を見ます。オルガン演奏者の演奏が鳴り響いています。

フロワサールは年代記の中で、自分も現場にいたと言い、サン・ドニ通りは「まるでただで手に入れたかのように」豊かなラクダ織りや絹織物で全体が覆われていて、ダマスカスやアレクサンドリアにいるみたいで、こんなに豊かな資材がどこから来たのかとたいそう驚いています。
この日、シャトレかひょっとしらたグラン・ポンに至るまで、サン・ドニ通りの両側にある家という家が、歴史やお話の場面を表したタピスリーを下げて、見物人の皆様の目を楽しませたそうな。

聖アンヌの寓意劇

次なるシャトレの入り口のところでは、また何か新しい劇を見せてくれるようです。

「向こう40年はいける、丈夫な」木の城と塔が建てられていて、それぞれの狭間に完全武装した兵士がおり、城の中のベッドには聖アンヌが横になっている。この聖アンヌのベッドは「bed of justice(正義の床)」になっている。

城の前の空き地には、ウサギたちの巣や藪があり、ウサギやひな鳥が出たり入ったりしている。ここに、イザボーたちの側から大きな牡鹿が飛び出してきて、聖アンヌのところに逃げ、続いてとライオンとワシが現れ2匹は鹿を追う。しかしこの高貴な牡鹿は、見事な服装と金の頭飾りの美しい12人の乙女たちが抜き身の剣で迎撃して追い払い、鹿と「正義の床」は救われました、という筋立て。
・・・?
あまりピンときませんが、シャルル6世最推しの物語だったのでしょう。

殴られた王様

ここで、変装したシャルル6世と、腹心の廷臣で友人でもある「サヴォワジーの殿」が、馬に二人乗りして群衆の中に登場。シャルル6世は、自分が心を込めて準備した民衆の熱狂の中で、民衆視点からイザボーの姿を見たかったらしく、二ケツしたまま最前線に行こうと無理に馬を進めさせたので、怒った警備スタッフにしばかれるというほほえましい事件があったそうな。
「後世の創作であり、事実関係は不明です。当時の王様が、簡単に民衆の中に入れたはずがありません」となりそうなものですが、いやいや本当にフロワサールとジュルサンが書いてる。

ジュルサンは、「サヴォワジーの殿」は反対したがシャルル6世に押し切られたことや、警備スタッフたちは「王のこともサヴォワジーのことも分からなかったので」と細かい情報を追加してます。

シャルル6世とサヴォワジーは放っておいて、いよいよ一行はシテ島に至るオー・シャンジュ橋にさしかかります。橋はもたっぷりの布地で装飾され、星空の天蓋で覆われていました。

ジェノヴァ人曲芸師

橋を越える頃には夕暮れになっていて、ここでジェノヴァ人の曲芸師が登場します。なんでも、あらかじめノートルダム大聖堂の屋根とサン・ミシェル橋の一番高い建物を縄で繋いでいたその上を、彼が両手に松明をもって曲芸をし、かつ歌も歌いながら、イザボーたちの頭上を通り過ぎたんですって。イザボーがちょうど真下を通り過ぎる時間にパフォーマンスを見られるように出てきたのです。

このとき、夕暮れ時にパリ屈指の高い建物から松明をもって出てきたこの曲芸師の光は、3リューの彼方からでも目視することができたと、ジャン・ヴェルドン先生は加えています。
ArtHouse StudioによるPixabayからの画像
と、フロワサールでは上記の通りなのですが、ジュルサンは少し違うことを書いています。先ほどの流れでサン・ドニ門で冠を授けてくれた天使が、ジュルサンの記述では、最後に出てきたジェノヴァ人曲芸師と混同されてるみたい。
ジュルサン曰く、「十分に軽やかな、天使の格好をした男」が「よくできた機械仕掛けによって」ノートルダム大聖堂の塔の上から橋までやってきて、橋の上の布の間からイザボーに王冠を与えて、また仕掛けで戻っていったとのこと。
天使 兼 軽業師で、王妃に王冠も授けるとなると役目が重すぎるので、天使と役割分担しているフロワサール記述を信じたいところですが、どっちが本当だったのでしょうか。

この後、イザボーは輿を降りて戴冠のためサン・ドニ教会に入っていくことになります。

シャルル6世の実行力

これが、戴冠式の前座にあたるイザボーのパリ入城式でした。21歳でこれだけの盛大で楽しい演目と演出を考え、多くの人を動員し、計画を滞りなく実行できたシャルル6世は、父王の七光りとかではなく、やはり当人も突き抜けた人であったと感じます。どこか特別なカリスマ性があって、この人のために動こうと思う人が多かったのではないでしょうか。警備員に殴られたのは面白すぎですが。
この一世一代の大イベントは、その後も波のように口コミで評判が広がっていきました。

イングランド王、対抗する

おや?評判を耳にしたイングランド王リチャード2世が、何か考えているようです。私もロンドンで盛大に式典を行うぞ、ですって?

この話を伝えているのはマルセル・ティボー先生で、出典はやはりフロワサール。フロワサールは年代記の中で、この翌年にリチャード2世がロンドンで壮大なトーナメント(馬上槍試合)と宴を開催したのは、イザボーの入城式・戴冠式に影響をうけたものだと明言しているようです。頑張れ、リチャード2世。

次回は戴冠式と聖別式になります。

(次回へ続く)
 

自己紹介

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中世末期の西ヨーロッパ史、特に王家の人々に関心があります。このブログでは、昔から興味のあったフランス王妃イザボー・ド・バヴィエールについてを中心に発信します。

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