女流作家クリスティーヌ・ド・ピザンから本を贈呈される王妃イザボー。生前の貴重な画像。 『クリスティーヌ・ド・ピザンの作品』1413年頃、パリ 大英図書館 所蔵 MS Harley 4331, fol.3 出典:ウィキメディアコモンズ |
イザボー・ド・バヴィエール(Isabeau de Bavière:1370-1435)は、14世紀末〜15世紀のはじめに生きた、フランス王シャルル6世の王妃です。
●病気の国王を放置して、王弟と不倫関係にあった
●怠惰で贅沢好きな女性で、子供たちの養育費まで使い込むので、子供たちは貧困していた
●世継ぎである我が息子に向かって「あんたは父親(王様)の息子じゃない」と言った
●同時代の英雄ジャンヌ・ダルクはイザボーの不倫の子という伝説があり、事実隠蔽のために農民にもらわれて育てられた
●最後には、軍事侵攻するイングランド王に媚びて、フランスをイングランドに売った
などなど、すごい悪評をもつ人物。
インターネットで調べてみても、「フランスはイザボーによって危機に瀕し、ジャンヌ・ダルクによって救われた」と救いようのない書かれ方をされていることがほとんどです。
けれど、ご当地ヨーロッパでは、イザボー王妃を見直す研究が熱心におこなわれていて、ゴシップや創作ではなく、信頼できる史料をもとに書かれた論文や伝記も出版されています。
残念ながら、それらは一つとして邦訳されているものはないようです。
イザボーの夫・国王シャルル6世は、精神的な病気に苦しんでいました。
国王の病気を背景に、フランス宮廷では親戚同士が権力を巡って殺し合いを始め、やがて海の向こうからイングランド王が軍隊で攻め込んできました。
そんな中で、イザボーは、バラバラになった一族を繋ぎ止めるために懸命な努力をしました。
伝説の怪物ではない一人の人間として、家族や周囲の人々との温かい(そして、とても悲しい)関係があり、生まれ故郷バイエルンへの想いがありました。
神様に夫の病気の回復を祈り、次世代を担う子供たちを生み育て、お付きの人々の生活に気を配り、食事をしたり動物や小鳥を愛でたりして、日々の生活を送っていました。
後世にまで悪評を残すことになった原因と思われるエピソードもありますが、そういったことも含めて、イザボーの人生は興味深いものだと思っています。
そして、イザボーの時代は、独特のファッションや美術作品も素晴らしいので、今まで読んだ本や資料をもとに紹介していければと思います。
イザボーと直系ヴァロワ王朝の時代を好きな仲間の輪が広がると嬉しいです。