1389年8月22日にイザボーのパリ入城、翌23日にはシテ島のサント・シャペルで戴冠式が行われました。
この出来事は、イザボーの人生における大イベントのため、関連資料では必ず言及されるものですが、具体的な道のりについては、管理人は特に考えることなく今まで来ました。
というのも、道のりはあまり重要ではないと思っていたのと、地所名が出てきてもピンと来なかったたためです。苦笑。
昨年末にパリマップを作ったのもあり、今回初めて、まともに向き合ってみました。
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入場式からおよそ80年後に描かれた写本挿絵。 時代や服装は違うとはいえ、イザボー時代のパリの雰囲気をよく伝えてくれているのではないだろうか。 Chroniques, Vol. IV, part 1 (the 'Harley Froissart'). (部分)1470-1475, S. Netherlands (Bruges) 大英図書館 所蔵(Harley 4379, fol.3) 出典:British Library Images |
サン・ドニ通りを通って
当時19歳だったイザボーは乗り物(輿だったのか、車輪付き馬車だったのか、馬が曳く輿だったのか)に乗り、大勢の大貴族たちやその夫人たちを伴って、パリの通りを練り歩きました。マルセル・ティボー先生の著作をはじめとしたイザボーの伝記によると、そのルートというのは、シャルル5世城壁の入り口の一角をなす「サン・ドニ門(Porte Saint-Denis)」から入ってサン・ドニ通りを南下し、戴冠式の行われるシテ島に向かうという、シンプルな道のりでした。
プログラム
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パリ16OpenStreetMap の貢献者H. ノイゼ、A.-L. ベーテ、N. フォシェール (パリ都市空間の時系列分析)を一部加工。 CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons |
8月22日にイザボーたちが通るサン・ドニ通り沿いに、楽しい演出や仕掛けが展開。
イザボーは途中の演出の中で王冠を授けてもらい、グラン・ポン(シャンジュ橋)を渡ってシテ島に到着。
ノートルダム大聖堂に王冠を預けて、夜はパレ・ロワイヤル(シテ島の王宮)に宿泊。翌日23日にいよいよサント・シャペルで戴冠式、そのあとに何日も続くパーティーと馬上槍試合。
そんなプログラムとなっておりました。楽しそう♪
中世の地図
2003年の展覧会図録の最初ページに、シャルル6世時代頃の地図が載っています。これは、中世当時作られた地図というわけではなく、あくまで当時を再現した地図になります(以下、図録地図と呼びます)。図録地図の出典には、「1380年のパリの都市計画に基づいて、研究者ジャクリーン・ルリダンとジャック・アルベール・マレという人物が1975年に作成した」という旨が書いてあります。
本記事では、この図録地図とイザボーの伝記各種を参考に、昨年も使わせていただいた「現代のパリに当時の城壁を重ねた地図」(byウィキメディア・コモンズ)に行程を記入してみました。
図録地図の現物は、図録に収まらないサイズ感のようで、小さい字なんかは潰れていて読めません。でも、辛うじて読める道(通り)の名前と、Googleマップで見られる現代のパリとの一致を見つけられると嬉しい。そして、600年前にイザボーたちが生きたのは、架空のどこかの街ではなく、確かに現代と地続きのフランスの都パリだったのだと実感します。
次回は、パリの内側に入っていきたいと思います。
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