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パリ入城式&戴冠式①

2024/11/02

楽しむ 文化

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オリンピックはあっというまに過ぎ去っていきましたorz
開会式の事後情報はキャッチしてましたが、血塗れのマリー・アントワネットの演出には思うところがありました。

革命で倒されたフランスの王政ですが、歴代のフランスの王様たちは絶対王政を強いる上では優秀で、定期的に名君が登場して王権強化に向かっていきました。そんな王様たちよりも、王妃、とりわけ外国出身の王妃の方が悪目立ちして叩かれる。なので、個人的にはあの演出に、同国の遺伝子のようなものを感じました。

さて、イザボーの物語は暗い方向に進みがちなので、ここで一つ、明るいおバカ話を。

今回のオリンピックと同じく、パリを舞台に繰り広げられた華やかな祭典『イザボーのパリ入城式&戴冠式』です。1389年、イザボーが19歳のときのことでした。

Natalia LavrinenkoによるPixabayからの画像

催しの意義

大勢の大貴族や従者たちを伴って都市に入る「入城式」に加え、盛大に戴冠式をおこなって塗油の儀式をおこなうということは、ただの王様の配偶者に過ぎなかったイザボーに、王様のような聖性を与えてくれるでしょう。

これは、後々イザボーがシャルル6世の権力を代行することにも関わってくるはずです。

とはいえ、まあシャルル6世の世界観全開、究極のお祭り騒ぎだったといえるのではないでしょうか。

王子様すぎる、若き日のシャルル6世
出典:『服飾の世界史〈資料編〉』丹野郁、白水社、1985 P.26
シャルル6世は1388年に20歳で新政を開始した前後から、ひたすら楽しいお祭を開催していました。

この頃のシャルル6世について、イザボーの先行研究者の一人、マルセル・ティボー先生は、
il comprenait tout autrement que son père l'exercice de l'autorité suprême, et il ne se jugeait pas encore d'âge à s'absorber dans les affaires.
彼は最高権力の行使について父王とはまったく違った理解をしており、自分がまだ政務に没頭するほどの年齢ではないと考えていた。
(出典:ISABEAU DE BAVIÈRE

と書いています。
ストレスの限界―1392年の発狂事件が徐々に迫っていたことを考えると「父王のようになりたいけれど難しい」からの、模倣できる数少ないことであり現実逃避でもあったかもしれないとも、管理人は考えています。

そんな未来をまだ知らないシャルル6世は、妃イザボーの盛大なパリ入城式と、まだ催行していなかった彼女の戴冠式を思いつきます。

4年前の結婚以来、パリと他の都市を行き来して暮らしていたイザボーなので、パリには何回も入城していたはずですが、そんなことは関係ありません。

王侯の都市入城式

イザボーの伝記を書いた歴史家ジャン・ヴェルドン先生によると、フランス王国における王侯の都市入城は、もとは長旅でお疲れの王様へのおもてなしだったそうです。

これが王権の高まりとともに儀式化。王侯にとっては権勢のアピール、富裕層にとっては王侯の列に連なれること、一般庶民にとっては娯楽という、どの層にもメリットのある一大イベントになっていったという、歴史家らしい説明を加えています。

シャルル6世は、それまでのお祭りにも増して、今回の式典にものすごい期待と気合いを込めていました。王国中の人々がパリに集まるように周知。街の美化につとめ、イングランドや神聖ローマ帝国、近隣諸国にも使者を送って、高貴の人々をご招待することにしたのだそう。

王様は、14世紀末当時で既に過去のものになりつつあった騎士道の超オタクだったので、古き良き時代を人々の目の前に蘇らせるような、かっこいい一大イベントにしたかったようですね。

シャルル6世が愛した、ドラゴン退治や剣やお姫様が登場する騎士物語の世界
RENE RAUSCHENBERGERによるPixabayからの画像

ブランシュ王妃に相談

王様は、儀式の構成などについて、ブランシュ元王妃に相談します。

曾祖父フィリップ6世(故人)の後妻ブランシュ元王妃は、年齢こそまだ50代でしたが一族の年長者でした。古い時代の儀式に一番近い人物で、前王朝カペー家ゆかりの人物でもありました。

ブランシュ王妃はパリ近郊ヌフル・ル・シャトーの隠居地から出て、サン・ドニ教会収蔵の古い資料を参照してくれましたが、そこにはシャルル6世が期待するような、古式ゆかしい戴冠式の詳細情報はなかったそう。

前衛的でアグレッシブな若い王様

そこでシャルル6世は、自己流に華々しくアレンジすることにしました。
マリー=ヴェロニク・クラン先生の著作によれば、この少し前、アンジュー家の従弟たちの騎士叙任式のときにも、シャルル6世は古の儀式を再現しようとしていたようです。

感性に溢れた、20歳を過ぎたばかりの若い王様!
彼は、憧れるけど実態不明の儀式を、スタイリッシュに仕上げなければなりません。

王の伝統装束は苦手、儀式は独自アレンジする、そして追々見ていくようにみんなの式服も自身がプロデュースと、シャルル6世はなかなか前衛的でアグレッシブな若者でありました。(ただし、その莫大な費用の出どころは、父王が工夫して苦心して築き上げた貯金でしょう)

一方、イザボーはというと、堂々と主役を務め上げることになりますが、本人が何か発信したという記録はありません。発言の一つも記録されていないようです。
管理人は、ここにイザボーの賢い人柄の一端を感じます。このことはまた次回以降。

参考文献

・Marcel Thibault, ISABEAU DE BAVIÈRE REINE DE FRANCE LA JEUNESSE 1370-1405, Paris, Perrin, 1903
・Marie-Véronique Clin,  Isabeau de Bavière la reine calomniée, Paris, Perrin, 1999
・Jean Verdon, Isabeau de Bavière La mal-aimée, Paris, Tallandier, 1981

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中世末期の西ヨーロッパ史、特に王家の人々に関心があります。このブログでは、昔から興味のあったフランス王妃イザボー・ド・バヴィエールについてを中心に発信します。

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