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パリ入城式&戴冠式③

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前置きシリーズの最後に、入場式・戴冠式当日のイザボーの服装と装いについて書いておきたいと思います。

断定的に言えることは少なく

結論から言うと、管理人が今現在の時点で断定的に言えることは少ないということです。

前の記事で、「フロワサール年代記は服装には触れていない。それ以外は未確認」と書きましたが、その後、Religieux de Saint-Denis, Chronique de Charles VI(サンドニ修道士の『シャルル6世年代記』)と、Juvénal des Ursins, Histoire de Charles VI(ジュヴェナル・ド・ジュルサン『シャルル6世の歴史』) も確認することができました。

これについては改めてまとめてみたいと思いますが、前者のサン・ドニ修道士が、イザボーの服装に言及していることが判明しました。大変簡潔な記述です。

La reine, vêtue d'une robe de soie toute semée de fleurs de lis d'or, était assise dans une litière couverte.

金のフルール・ド・リスを全体に散りばめた絹のローブを着た王妃は、装飾された輿の中に座った。


出典:Religieux de Saint-Denis, Chronique de Charles VI(P.611)
ということは、それ以外で服装について具体的な記述があれば、それは同時代の年代記“以外”が情報の出どころということになります。

\サン・ドニ修道士/

\ジュヴェナル・ド・ジュルサン/

クラン女史の具体的記述

イザボーの現代の伝記作家マリー・ヴェロニク・クラン女史は、入城式のときのイザボーの服装について行を割いています。それによると

Isabeau(・・・)porte une robe de soie rose au corset rebordé de fleur de lis d'or dont les boutons sont travaillés en forme de petits bouquets, de feuilles de mouron de couleur vert et or, garnis d'une de fleur bleue; son surcot est en velours vermeil doublé de cendal.

イザボーは(・・・)ピンクの絹のローブを着ていた。コルセットは金のフルール・ド・リスで縁取られ、ボタンは緑色と金色のハコベの花びらの、小さな花束の形に仕上げられて、青い花が付けられた。そのシュルコーはセンダルで裏張りされた朱色のビロードだった。
出典:Isabeau de Bavière, la reine calomniée(P.74)
とのこと。

コルセットは近代的な形状のあれではないかもしれないとか、突き詰めると服飾史に足を突っ込むことになり今回は触れないでおこうと思いますが、具体的ではありますね。

ただ、どこから情報を取ってきたかは記載がありません。

\マリー・ヴェロニク・クラン女史による伝記/

オルレアン公妃より買い取ったマント

一方、クラン女史の本には書かれてなくて、マルセル・ティボー先生のイザボー伝記とエミール・コラ先生が書いたヴァレンティーナ伝記の方には書かれているのが、王家の百合の紋フルール・ド・リスのマントです。

ティボー先生は「金のフルール・ド・リスが散りばめられた、青いベルベットのフード付きマントを身にまとって」「王妃のフード付きマントは、ミラノのヴァレンティーナから480リーブルで購入したもの」「イタリア製」と書いてあります。

一方、ヴァレンティーナ伝記では「オルレアンのブランシュ公妃から485リーブルで購入した」とあります。註釈のところに「パリに来る祭のときに王妃が着るためにオルレアン公妃夫人から買った」と14世紀当時の会計簿から引用されていて、両者の話が食い違っているのは、このテキストの解釈違いからでしょう。

前にも触れたように、当時の「オルレアン公妃」は故ジャン2世の王弟妃ブランシュ(前王朝カペー家最後の王シャルル4世の娘でもある)とされています。

大事な晴れの日のためにイタリア出身の新顔ヴァレンティーナからマントを買ったと読むよりは、前王朝カペー家ゆかりのブランシュおばさまから買ったとするほうが重々しくて説得力がありますよね。もしかしたら、カペー朝時代にさかのぼる由緒ある逸品かもしれません。よってヴァレンティーナ伝記の解釈の方が自然かなと思います。

いずれにせよ、イザボーがフルール・ド・リスのマントを着ていたというコチラは、信頼できるものです。

\コラ氏によるヴァレンティーナの伝記/

KKに年代記以上の情報?

服装に続いて、冠とヘッドドレスについても。
“Queenship in Medieval Feance 1300-1500”(Murielle Gaude-Ferragu著/Angela Krieger訳)という本には、入城式の際のイザボーの黄金の冠について言及があり、これはパリの金銀細工師ジャン・ド・ヴィヴィエールが手がけたもので、93のダイヤモンドと100の真珠、ルビーとサファイアで飾られていたとあります。出典はKK120のfol.109(王家の会計簿)です。

クラン女史も、「頭飾りは(...)より小さな80個のダイヤモンドに囲まれた一つの大きなダイヤモンドで、千のきらめきで輝いていた。真珠は金の石留めに縫い込まれ、この装いの輝かしさをより一層高めている」と、引き続き出典は未記載ながら、具体的な記述。

マント以外の具体的なファッションに触れていないティボー先生は、簡潔に「貴婦人たちの装いの豪華さは王や王弟に匹敵するほどだったが、イザボーの身支度は群を抜いて素晴らしいものだった」として、出典にKK20を挙げています。

またKK20が出たところを見ると、ここに入城式にまつわる支出が盛りだくさん書かれているものと思われますので、出典が分からないけど非常にリアルなクラン女史の記述も、このKK20から引いてきた可能性は大いにあります。
だとして、イザボーが記述にあるような装いを実際にしていたならば、王冠とヘッドドレスでもう、戦闘モードなんですわ。

KK20は、年代記がカバーできていない情報がたくさん詰まっていそうです。

最後に

今の段階で、おそらく確かだろうと言えることは、格調高いフルール・ド・リスのマントとキラキラ度の高い金の冠。
これは、少なくとも装いに関しては、以下の写本挿絵以上のことは言えないということです。逆に言うならば、写本挿絵は要点は抑えていると言えるのかな。
入場式からおよそ80年後に描かれた写本挿絵。会計簿「KK20」から、より詳細な真実が明かになることを期待したいですね。
Chroniques, Vol. IV, part 1 (the 'Harley Froissart'). (部分)
1470-1475, S. Netherlands (Bruges)
大英図書館 所蔵(Harley 4379, fol.3)
出典:British Library Images

このように、入城式の道中、イザボーは最高級の装いでパリの街頭を練り歩いたわけですが、翌日の戴冠式ではさらに上をいくハレの正装をしていたことが示唆されています。その正装は、皇室における十二単のような位置づけなんじゃないかと思ったりします。

さて、次こそはパリに入りたい。

(終わり)

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中世末期の西ヨーロッパ史、特に王家の人々に関心があります。このブログでは、昔から興味のあったフランス王妃イザボー・ド・バヴィエールについてを中心に発信します。

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