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シニョリーア制とヴィスコンティ家

2023/01/21

家族 雑記

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イザボーの母タデアは、14世紀〜15世紀にかけて、ミラノを拠点に北イタリア・ロンバルディア地方を治めた大富豪ヴィスコンティ家の娘です。
ヴィスコンティ家の紋章「人を飲み込む蛇」。スフォルツェスコ城より。

11世紀以降、北部や中部のイタリアでは、コムーネ(comune)と呼ばれる自治都市がたくさん出現し、王様や大公に支配されない、住人による自治がおこなわれていました。が、次第に都市同士の抗争が激しくなってくると、強いリーダーシップが求められるようになります。やがて、有力貴族の中からシニョーレ(Signore)と呼ばれる者が現れて、都市の全権力を握るようになりました。シニョーレは、日本語では「僭主(せんしゅ)」と訳されているようです。シニョーレによる都市の支配体制を「シニョリーア制」といいます。
このような風潮の中で、12世紀中頃からミラノの支配者として台頭したのが、ヴィスコンティ家でした。

現在のイタリア。ロンバルディア州(オレンジ)と州都ミラノ(赤)。

ヴィスコンティ家は、もともとはミラノの小貴族だったようですが、何世代もかけて、じわじわと頭角を現していきました。彼らはやがてミラノのシニョーレを世襲するようになり、支配域を広げていきました。
政略結婚で外国の王室との親戚関係を築いたりもして、14世紀には誰もが認めるロンバルディア地方の一大君主になっていったのでした。

一族には残忍な人物が多かったようです。
中でも、タデアの父ベルナボ・ヴィスコンティ(Bernabò Visconti:1323~1385)は、冷酷無比な専制君主といわれ、ローマ教皇を敵に回し、ドイツの神聖ローマ皇帝と戦い、フィレンツェやベネチアなどの近隣都市と勢力争いを繰り広げました。
ベルナボは、ローマ教皇からの破門を通知する手紙(羊皮紙)を持ってきた使節団に激怒して「その羊皮紙を飲み込むまで帰さん!」と怒り狂ったなど、強烈なエピソードをもつ、強欲で短気な男性。刃向かう者は容赦なく拷問にかけて殺し、領民を苦しめたと伝わる、悪名高い人物です。

ミラノ・スフォルツェスコ城内の古代美術館(Museo d'arte antica)にあるベルナボの墓標彫刻。

ただ、ベルナボは後に甥っ子にシニョーレの座を奪われ、殺害されています。甥っ子としては簒奪行為を正当化しなければいけないため、叔父の悪行を誇張した、という背景もあるようですが。

一方で、一族は代々、貿易で蓄えた潤沢な資金をバックに、芸術家や哲学者を後援しました。
イザボー・ド・バヴィエールの先行研究者の一人、マルセル・ティボー先生(Marcel Thibault:1874-1908)は、1903年に発表したイザボーの伝記の中で、芸術後援者としてのヴィスコンティ家をこう、書いています。

ils comprenaient et encourageaient les arts; leur luxe était élégant; depuis longtemps, en effet, ils avaient su attirer poètes et savants; ils honoraient la mémoire de Dante, Pétrarque était leur protégé; pour orner leurs palais, ils recherchaient les meilleures œuvres des peintres et des sculpteurs.

彼らは芸術を理解し、推奨した。彼らの贅沢は格調高く洗練されていた。長い間、確かに彼らは詩人や学者たちを惹きつけることを知っていた。ダンテの記憶を顕彰し、ペトラルカを庇護し、宮殿を飾るための彫刻や絵画の優品を探し求めたのだ。 

引用:Isabeau de Bavière reine de France La jeunesse, 1370-1405  

芸術を愛するヴィスコンティ家の姿勢は、後にイタリアでルネッサンスが開花し、西ヨーロッパ中に波及する要因の一つになったとも考えられます。

ミラノのサンテウストロジョ大聖堂(Basilica di Sant'Eustorgio)にあるヴィスコンティ礼拝堂のフレスコ壁画。
Saggittarius A. 2021. Milano Sant'Eustorgio-cappella Visconti 2.
ヴィスコンティ家の歴史は、イタリア史に片足を突っ込むことになり知らないことだらけなので、追々、勉強していきたいと思います。 

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中世末期の西ヨーロッパ史、特に王家の人々に関心があります。このブログでは、昔から興味のあったフランス王妃イザボー・ド・バヴィエールについてを中心に発信します。

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