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フィレンツェのフレスコ壁画の沼

2023/01/07

雑記

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“イザボーの母にまつわるWikipediaの怪”という内容で記事を書こうとしていて、内容は大筋で決まり、残るは画像を探すだけとなりました。

イザボーの母タデアは、14世紀にイタリア・ミラノを支配したヴィスコンティ家の出身なので、タデアの両親に関係するフィレンツェのフレスコ壁画を載せる予定でおりました。同壁画に描かれているとされる、イザボーの母方の祖父母、ミラノの大領主ベルナボ・ヴィスコンティ(Bernabò Visconti:1323-1385)とベアトリーチェ夫妻の肖像です。

フィレンツェのサンタ・マリア・ディ・ノヴェラ聖堂にある、スペイン人礼拝堂のフレスコ壁画。
『via veritatis』
アンドレア・ディ・ボナイユート
1365年~1368年頃
サンタ・マリア・ディ・ノヴェラ聖堂 スペイン人礼拝堂
出典:ウィキメディアコモンズ

管理人のこだわりで、関連画像は、研究者なり専門機関なりによって出どころがしっかり示されている、できる限り同時代のものを掲載したい、という気持ちがあります。だから、所蔵機関や制作年代、描かれた対象が誰なのかが、なるべくはっきりしたものを掲載するようにしています。

さて今回載せようとしていたフレスコ壁画は、フィレンツェのサンタ・マリア・ディ・ノヴェラ聖堂にある貴重な文化財で、作品自体は由緒ある確かなもの。今回つまづいた問題は、そこに描かれている男女がベルナボ・ヴィスコンティ夫妻であるというのは本当か?というところです。

フレスコ壁画の右端の方に描かれている、白い服を着た髭のおじさんと、その横にいる赤い服の女性がヴィスコンティ夫妻であるとのことで、Wikipediaはじめネット界隈ではすぐに出てくる画像なんですね。最初、管理人もすっかり信じていて、出典元になる資料や記述も、調べたらすぐに見つかるだろうと思っていました。例えば「ベルナボがボナイユートに資金援助していたので、記念に自分と妻を描かせた」とか、そういう由来が。

フレスコ壁画の右側を拡大したもの。イザボーの祖父母である、ベルナボ・ヴィスコンティとベアトリーチェ夫妻とされている男女。
ところがどっこい、この男女がヴィスコンティ夫妻だという情報の出どころは、まったく不明のようです。まったく不明だというところまでたどり着くのにも、時間がかかりました。

このフレスコ壁画は、イタリアはフィレンツェの、サンタ・マリア・ディ・ノヴェラ聖堂(Basilica di Santa Maria Novella)に隣接する修道院にある、「スペイン人礼拝堂」の壁を飾るもの。アンドレア・ディ・ボナイユート(Andrea di Bonaiuto)という名前の14世紀の画家が「Way of salvation(救済の導き)」をテーマに描いているとのこと。ただし宗教絵画なのでラテン語でvia veritatis で、way of salvationはその英語訳。現地ではイタリア語でvia veritasと呼ばれているようです。

キーワードが多すぎない?と思いつつ、バラバラといろんな単語を組み合わせて検索して、フレスコ画を紹介しているホームページ等を見て回っているうちに、だんだん、このフレスコ壁画にははっきり決まった名前がないらしいと分かってきました。

次に、古い書籍を一部閲覧できるGoogleブックスにて、このフレスコ画を描いた画家「ボナイユート」とイザボーの祖父「ベルナボ・ヴィスコンティ」に、そもそも関係性があるのかどうかを調べてみました。
イタリア史やイタリア美術の話になるので、検索結果はどうしてもイタリア語が中心になりますが、例によって自動翻訳機能が役に立ちました。そのうちに、どうやら、ボナイユートとベルナボの関わりに言及している資料がほとんどないことに気づきます。

1件、“Bernarda Visconti: una truffa quattrocentesca”(2016)という本だけが、画像引用のP.118ところで「研究家はこの2人をベルナボと妻ベアトリーチェだとしている」「ある美術史家は、夫妻の前に描かれた若者を、夫妻の15人の子供のうちの8人としている」と書いています。では、この記述自体は何をもとにしているかというと、肝心の出典元が書いてあるかもしれない次ページは非公開でした。この1ページの確認のためだけに本書を購入するのも、気が進まないな。

そして、この一冊以外いかなる本も、ボナイユートのフレスコ画にベルナボが描かれているとも、フレスコ画制作にベルナボが関わったとも書いていません。最後には、このフレスコ画を専門に考察している論文ですら、ただの一度もベルナボに言及していないと知り、ついに諦めました。

\専門的に考察している論文/

あともう一冊Tendencies of Gothic in Florence: Andrea Bonaiuto”(1996)という本が存在するらしく、こちらで何か書いている可能性はあります。ただ、この本は、フレスコ壁画以外も含めたボナイユート作品全般の研究書らしいので、望み薄でしょう。

もちろん、今後、何か情報を掴むことができる可能性はあります。でも、少なくとも今日に関しては、ひたすら粘って収穫なし。

イザボーの祖父母とされている絵が本当にそうなのか、を調べ始めたところから、ひたすら目的外の情報―ベルナボじぃのワンちゃんやお墓のお話、ボナイユートのフレスコ画情報にどっぷり浸ることになりました。

横顔の描き分けが丁寧。
終盤は、ベルナボの墓標彫刻の図録の存在を知って「買ってみようか」と脱線したり、フレスコ壁画の画像を眺めて「ボナイユート師は横顔を丁寧に描き分けしてはるわ」などとぼーっと考えていました。

さて、問題は解決していません。
タデアの記事に載せる画像はどうしましょう。

\その後完成した記事はこちら/

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中世末期の西ヨーロッパ史、特に王家の人々に関心があります。このブログでは、昔から興味のあったフランス王妃イザボー・ド・バヴィエールについてを中心に発信します。

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