今回は、フランス王妃イザボー・ド・バヴィエールの熱心な研究者、ヤン・グランドー先生(Yann Grandeau)の著作についてまとめてみたいと思います。
Ag KuによるPixabayからの画像 |
イザボーにまつわる面白い論文が多数
グランドー先生は、イザボーに関する論文を何本も書き、様々な学術誌に発表していました。
西洋中世史の総合データベース「RI OPAC」でYann Grandeauと検索して出てくるものが、ほぼ全てと思われます。
それによると、先生が書いたイザボーにまつわる論文は、以下の8本。
論文タイトル | タイトル拙訳 | 掲載誌 | 発表年 | |
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1 | Itinéraire d'Isabeau de Bavière | イザボー・ド・バヴィエールの道のり | Bulletin philologique et historique (à 1610) du Comité des Travaux Historiques et Scientifiques | 1967 |
2 | Les enfants de Charles VI.Essai sur la vie privée des princes et des princesses de la Maison de France à la fin du Moyen Âge | シャルル6世の子供たち。中世末期のフランス王家の王子女の暮らしに関するエッセイ | Bulletin philologique et historique (à 1610) du Comité des Travaux Historiques et Scientifiques | 1969 |
3 | Le dauphin Jean, duc de Touraine, fils de Charles VI (1398-1417) | 王太子ジャン、トゥーレーヌ公、シャルル6世の息子(1398-1417) | Bulletin philologique et historique (à 1610) du Comité des Travaux Historiques et Scientifiques | 1971 |
4 | La mort et les obsèques de Charles VI | シャルル6世の死と葬儀 | Bulletin philologique et historique (à 1610) du Comité des Travaux Historiques et Scientifiques | 1974 |
5 | De quelques dames qui ont servi la reine Isabeau de Bavière | 王妃イザボー・ド・バヴィエールに仕えた幾人かの女官たち | Bulletin philologique et historique (à 1610) du Comité des Travaux Historiques et Scientifiques | 1977 |
6 | Les dernières années d'Isabeau de Bavière | イザボー・ド・バヴィエールの晩年の日々 | Valenciennes et les anciens Pays-Bas. Mélanges offerts à Paul Lefrancq | 1978 |
7 | Isabeau de Bavière, ou l'amour conjugal | イザボー・ド・バヴィエール、 あるいは夫婦の愛 | Études sur la sensibilité au moyan age-102e congrès national des sociétés savantes, Limoges | 1979 |
8 | L'exercice de la piété à la cour de France. Les dévotions d'Isabeau de Bavière | フランス宮廷における信仰の務め。イザボー・ド・バヴィエールの献身 | Jeanne d'Arc. Une époque, un rayonnement | 1982 |
このうちいくつかは幸運にも入手することができ、いくつかはオンラインで閲覧が可能ですが、中身もタイトル負けしていません。
取り上げられているエピソードは、叫びたくなるくらいマニアックです。
「シャルル6世が太っている王太子に、狩りによる運動をすすめた話」、「フィリップ豪胆公が大姪たち(シャルル6世とイザボーの娘たち)とサイコロゲームで遊んだ話」「イザボー兄が妹に宛てたイヤミな手紙」等々・・・。
一体どうやって発掘したの😱
ライブキッチンにハマる
今まで紹介してきた本も含め、多くの伝記や解説書は完成したお料理に例えられるのではないか、と思っています。
産地(情報の出どころ)や生産者(その道の専門家による先行研究)をきちんと明示しているものもあれば、怪しいものもあり、料理人による味付け(解釈)が個性的なもの、お料理というよりはおやつみたいなもの(小説)まで様々あります。
その点では、グランドー先生の作品郡は論文なので、少しテイストが違います。
素材が、料理人のパフォーマンスによってお料理に生まれ変わる、その過程まで楽しむライブキッチンようなもの、と言えるかもしれません。
猟師&料理人(研究者。ここではグランドー先生)が、海や山や砂漠(アーカイブの森)で狩り(史料探し)をしてくる。
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収穫物を捌いて下ごしらえ(中世人のミミズのような字を解読し、活字化)
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素材をお客さんの前にたくさん並べる(論文下の註に並べられた、活字化された中世のテキストの数々)
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そのいくつかをピックアップし、目の前で実演調理(本文における解説)をしてくれる。
このライブ感、つまり原史料ありきの論文を解読する楽しさには、中毒性がありますね。
マニアックの意味するところ
一見、先生の個人的関心に走りすぎたような論文ですが、それぞれの研究に、深い意味がありました。イザボーは、歴史的には敗者であり、誹謗中傷と悪評にまみれた人物です。
では実像はどうだったのかというと、年代記作家による描写や個人的な手紙など、分かりやすい形での史料はあまり残されていません。
そこでグランドー先生は、帳簿やフランス外に残る史料も合わせて精査して、伝説を洗い落としていきます。
子供たちの生活からは、母としてのイザボーの姿を。
人生行路からは、イザボーの乱行が伝説に過ぎず、至ってまじめに家族と一緒に暮らしていたことを。
夫婦愛の痕跡からは、イザボーが一体どんな気持ちで狂気の王シャルル6世と添い遂げたのだろうか、ということを。
晩年についての調査からは、「孤独で惨めに死んだ」のが行き過ぎた伝説に過ぎない、ということを、浮かび上がらせていくのです。
こういう細かい調査は、中世末期の王権やジェンダーの研究などにも繋がるでしょう。
イザボーの伝記を何冊か読んだ後で、先生の論文を見ると、「それ、見たことある」というエピソードがいくつかあります。
それは、伝記の多くがグランドー先生の論文を参照して書かれているからですね。
イザボーを愛した先生の研究は、後世に確かな爪痕を残しているようです。
正体不明の研究者
これほどまでに熱心に、論文をたくさん書いたグランドー先生。先生がこんなにイザボーを大好きになり、研究に身を捧げるようになった経緯が不思議ですが、その正体はさらによく分かりません。
インターネットで「Yann Grandeau」と調べると、先生が書いたと思われる、家系図調査のやり方とジャンヌ・ダルクの本ばかりが出てきます。
グランドー先生は、一般読者向けに出版した本がこの2冊だけというような、草の根の研究者だったのでしょう。
後は、どう頑張ってみても、どこ出身のどんな人だったのか、生没年すら謎のままです。
そうそう、唯一掴めた情報がありました。
現代のイザボー研究者の一人、レイチェル・ギボンズ先生は、1996年に自身の著作の中でこう言及しています。
「ヤン・グランドーは、研究の数々を完成作品に発展させる前に、悲しいことに亡くなりました」と。
つまり、先生はもう亡くなっているのですね。
それぞれの論文については、また追々、紹介をしていきたいと思います。