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オルレアン大公暗殺―中世フランスの政治文化

2023/09/24

参考文献

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 参考文献のご紹介です。

オルレアン大公暗殺―中世フランスの政治文化
筆者:ベルナール・グネ
訳:佐藤 彰一/畑 奈保美
出版社:岩波書店
出版年:2010 言語:日本語
ISBN-13:978-4000224079
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国王シャルル6世のただ一人の弟・オルレアン公ルイは、14世紀末フランスの大貴族の筆頭格でした。
しかし1407年の晩秋、夜のパリの街頭で、政敵ブルゴーニュ公ジャンの謀略により殺害されてしまい、ここから、フランス王国を二分する“ブルゴーニュ派とアルマニャック派の内戦”が始まることになりました。
教養高い文化人であり、稀代のプレイボーイでもあったオルレアン公ルイ。急襲され亡くなった上に、あらゆる汚名を着せられることに。
本書は、1407年のオルレアン公殺害に始まる両派の対立から、およそ30年後の和解までを追ったドキュメンタリー的な一冊です。
原著は1992年に書かれた、フランス中世史家ベルナール・グネ先生の“un meurtre une société”(一つの殺人、一つの社会)という本。
本書は邦訳された日本語の本ではあるものの、神学や古代ギリシャの哲学、中世の司法のお話がたくさん出てきて難解。400ページほどあり文体も重いので、時間をかけて何回も読んでいます。
それでもやはり理解はできないのですが、なんとなーくニュアンスだけは掴めた、ような気がします。

この時代のヴァロワ貴族たちは、ずっと・ずっと・ずーっと権力闘争をしています。一回「謀反の疑いあり」とか言って、ガッと合戦をして、勝ったほうが相手の一族を根絶やしにしてしまえば、この闘争は終わりのように思えます。
が、問題のヴァロワ貴族らは、フランス王の臣下でありながら、お互いに密接な血の繋がりがある親戚同士であり、外国にまたがる広大な領地を持つ一君主でもありますから、闘争は一筋縄ではいかない。
しかも、中世が終わり近世が始まろうかという過渡期のこの時代。気に入らないやつは勝手に叩きのめしてもよいのか、ちゃんと裁判に任せるべきか、人々の考え方にも新旧のせめぎあいのようなものがありました。
それで、いかにキリスト教に根ざしたルールに則り、神聖な存在である王様を奉りながら相手を裁きにかけるか、はたまた理由があれば暴力は赦されるのか、オルレアン公の殺害をきっかけに議論が交わされることになりました。両派とも、もてるコネクションを駆使して、壮大な学問的屁理屈をこねくり回しすことによって。
結果、内戦が終わったあとには国こそボロボロになったけれど、国家やフランス王という概念が大きく進展して、やがてはフランス絶対王政につながったと。
これが管理人にできる精一杯の解釈。

社会構造の本だけあって、神学や哲学のお話はたくさん出てくるけれど、人物描写にはあまり踏み込んでいなくて、通り一遍のもの。
特にグネ先生はイザボーのことはあんまり好きじゃないんだろうなという感じ。

彼女は小柄で、茶毛で、「醜い皮膚に覆われていた」。どんなにお世辞を言っても美しさを褒めるのは無理だった。それに加えて、一四〇〇の時点で彼女はもう九回も妊娠を経ており、すでに肥満が目立っていた。何年か後には肥りすぎて、ほとんど移動もままならなくなっていた。
(中略)
またフランスに来てから十五年になるというのに、人々の心を掴むような言葉なり、振る舞いなりをしたことがなかっただけに、なおのこと好かれなかった。一三八五年にこの王国に来たとき、彼女は一言もフランス語が話せず、フランスの人々をまるで知らなかった。その後久しく経っても、自分の家ヴィッテルスバッハ、自分の故郷バイエルン、そこからフランスへ付き従った使用人たち以外には、ほとんど愛着を持っていなかった。
出典:オルレアン大公暗殺―中世フランスの政治文化 P.189-190
とのこと。
ボロクソに容赦なくて笑えます。

ただ、グネ先生はイザボーには好意的でなくても、彼女の不貞伝説を面白おかしく書き立てるようなことはしません。
イザボーは夫シャルル6世を愛していたとして、本書の最後で息子シャルル7世の出自疑惑についてもキッパリ。

後に広まった話では、王太子は出生の合法性を疑っていたという。それはあまりに重く、あまりに固く守られた秘密が生んだ話で、ありえない話である。
(中略)
シャルルが疑っていたのは自分の出生ではない。自分の行いである。
出典オルレアン大公暗殺―中世フランスの政治文化 P.371
と書いています。
本書の中で、殺人行為の是非を巡る論争についてさんざん書いてきた歴史学者グネ先生ならではの、ゴシップとは一線を画す考察ですね。

まあイザボーのことはさておき、危険なカリスマ性を感じるのが、本書の主役ともいえるジャン無畏公です。
いとこオルレアン公殺害を決行したブルゴーニュ公、ジャン無畏公。
いとこオルレアン公を暗殺したジャン無畏公の、壮大な開き直り&正当化キャンペーンが、本書のテーマとなっています。
パリ大学の神学者を弁護人として雇い、「俺は悪くない、むしろ社会的害悪を排除してやったのだから感謝せよ」と主張、被害者の悪評をばら撒いてその評判をめちゃくちゃにするいわゆる死体に鞭打つようなことをして、世論を味方につけて徹底抗戦します。サイコな危ないおじさんです。
醜悪だけれども、ジャン無畏公としては、両親から引き継いだブルゴーニュ帝国の主として、絶対に負けられない戦いがあったのでしょう。
ときにはビビったり迷ったりしていた様子も伺えます。そのたびに懸命に考え、自分を信じ、最後には自分自身の所業への復讐として、イザボーの息子一派に殺害されます。
一人の漢の生き様がありました。

ただ、先ほども書いたように、管理人はこの本に対する理解度を上げられず、解釈には不安が残ります。
この本が一番言いたい部分―哲学や神学の箇所を理解するには、あと100万年くらいかかりそうでございます。

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中世末期の西ヨーロッパ史、特に王家の人々に関心があります。このブログでは、昔から興味のあったフランス王妃イザボー・ド・バヴィエールについてを中心に発信します。

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