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イザボーの署名

2024/02/24

文化

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人物史の醍醐味?!イザボーの直筆サインをご紹介します。
Oberholster VenitaによるPixabayからの画像

1405年の著名

王妃が生前、“Isabeau”(イザボー)と自ら名乗っていたわけではないことを『イザボー、不思議な名前の由来』という記事で書きました。

\過去の記事はこちら/
イザボーはフランスに嫁いで以降、イザベルと名乗っていました。
同時代人が王妃の名前を表すときの書き方には、いくつかの表記ゆれが見られるものの、本人はYsabelと綴っていました。

こちらは1405年12月1日、イザボー35歳のときの著名。
1405年のイザボーのサイン(部分)
Traité d’alliance entre Isabeau de Bavière, Jean de Berry et Louis d’Orléans
(d’après Musée des Archives nationales…, Paris, 1872, p. 250)

この署名を紹介しているのは、“La signature de Jean de Berry : marque de prestige, signe de pouvoir”という、ベリー公ジャン(ベリー公叔父様)の署名について追求した論文です。

\論文の閲覧はこちら/
翻訳の精度はさておき、現状、オンラインで全文自動翻訳で読むことができ、この図11にイザボーのサインを見ることができます。

解説によると、1405年の12月に、ベリー公ジャン・オルレアン公ルイ・イザボーの3人が「これから結束して、助け合って頑張っていきましょう」という同盟を締結して書かれたサインだそうです。
なので、ベリー公叔父様とルイルイの著名も、隣にあります。

1405年といえば、フィリップ豪胆公逝去の翌年、オルレアン公殺害が起こる2年前。まだ平和な頃です。その頃に、ベリー公まで加わった同盟があったのだな。

出典元は19世紀に書かれた本とのことなので、イザボーの直筆サインとしては由緒ある、おそらく研究者にはよく知られていたもの。

1417年の著名

一方こちらは、ほんの最近2019年に公開された史料における、1417年のサインでございます。
Isabeau de Bavière (1371-1435), reine de France : charte de fondation de messe en la cathédrale de Tours en 1417.1J/1538Archives d'Indre-et-Loire
出典:rchives d'Indre-et-Loire
イザボーが発行した憲章(シャルト)の末尾にサインされたもの。
この憲章は、イザボーがフランス中部の都市トゥールのトゥール大聖堂に向けて「3000フランを寄付するから、王様(シャルル6世)と私のために毎日ミサを上げてくださいね」と依頼したという文書。
教会への寄付とミサの依頼は、信仰心はもちろんだけれど投資でもあり、イザボーがよく使っていた財産構築手段、つまり財テクの一環だったようです。

\憲章(シャルト)の閲覧はこちら/
現在のトゥールは、アンドレ=エ=ロワール県の県庁所在地となっています。
イザボー憲章を公開しているアンドル=エ=ロワール公文書館によると、この憲章はもとはトゥール大聖堂の文書館が所蔵していたものの、おそらくフランス革命の頃、聖職者財産の国有化などで混乱していた時期に行方不明となりました。

その後、いつのまにか民間に渡っていたところを、2019年にアンドル=エ=ロワール公文書館が買い取りました。現在は、同館が革命後にトゥール大聖堂文書館から引き継いでいた史料たち―つまり、イザボー憲章にとっては元同僚ともいえる史料たちの間に戻して保管されているそうです。

2019年9月の“ヨーロッパ文化遺産の日”にこの憲章が紹介されたようで、パンフレットのPDFをダウンロードできました。
PDFでは、中世の文章を活字に起こして、読み方まで丁寧に解説してくれていました。

\パンフレットPDFの閲覧はこちら/

筆跡から考える

二つの著名には、12年の隔たりがあります。
この間にはあまりにいろいろなことがあり、イザボーも年をとりました。
そのため、筆跡の変化は年月を感じさせるものではありますが、同じ人物のものと分かりますね。

管理人はこれを見たとき、「可愛いらしい字」「ちょっと丸文字っぽい」と思いました。地味に、小さく、まとまっている。男性陣の著名は華やかに装飾されているのに。
派手な押し出しにも関わらず、イザボーには謙虚で慎重な面もあったのではないかと思います。少なくとも若い頃は誰ともうまくやって、記録に残るような喧嘩はしなかった。シャルル6世も、ヴァレンティーナも、兄貴も、結構クセあるぞ。

でも、筆跡から人柄を掴むのは難しい。
リアルで付き合いがあってさえ、筆跡通りの人だと思う人もいれば、一致を見い出せない人もいる。知った気になっているその性格だって、きっと一側面でしかない。

このサインを見た方は、イザボー・ド・バヴィエールという女性に、どのような印象を抱かれるでしょうか。

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中世末期の西ヨーロッパ史、特に王家の人々に関心があります。このブログでは、昔から興味のあったフランス王妃イザボー・ド・バヴィエールについてを中心に発信します。

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