参考文献の紹介です。
Paris・1400 Les arts sous Charles VI 出版社:fayard/Réunion des Musées Nationaux 出版年:2004 言語:フランス語 ISBN-13:9782213620220 【amazon】 |
シャルル6世時代の芸術の展覧会
2004年3月22日〜7月12日にかけてパリのルーヴル美術館で開催された特別展“Paris・1400 Les arts sous Charles VI”(パリ・1400 シャルル6世治世下の芸術たち)の図録です。
写本挿絵。左上の赤い服が、フランス国王の正装をした国王シャルル6世。夜空には星が輝き、王宮周辺の様子も描かれる。 Dialogues de Pierre Salmon 1409年、パリ フランス国立図書館 所蔵(Fr. 23279) 出典:Paris 1400(P.120) |
聖母子像 タテ69cm×ヨコ44cm×奥行き21cm 15世紀初頭、イル・ド・フランス アムステルダム国立美術館 所蔵(Inv. NM 11912) 出典:Paris 1400(P.217) |
La mise au tombeau タテ33cm×ヨコ21.5cm
出典:Paris 1400(P.198) |
本書は、それらの作品写真と説明で構成された展覧会図録で、言うなればシャルル6世時代の芸術作品しか載っていない1冊。400ページ超え、厚さ3センチほどもあって、ずっしり重いです。一番最初のページの、展覧会開催にあたって協力した人物や団体の中に、よく見ると“Hiroshi Maeda”という日系の名前があるのが、地味に嬉しいです。
さて内容ですが、これが難しい。
美術展の図録らしい硬派な言い回しが多いのか、知らない単語ばかり次々に出てきます。勉強のためにも、気になったところを中心に電子辞書をポチポチして読んでいくという。むむむ、進まない。もっと読解レベルを上げたいよ。
でも、作品の写真を眺めているだけでも楽しくて幸せな気分になります。
宮廷風恋愛をテーマにしたタピスリー(織物の壁掛け)。人々の装いもテーマも雰囲気も、シャルル6世時代らしい作品のひとつ。 Toris scenes courtises(A)タテ155cm×ヨコ398cm 1400年~1410年頃、パリ Musée des arts décoratifs 所蔵(Inv. PE 601) 出典:Paris 1400(P.225) |
展覧会の目玉“Goldenes Rössl”(金の馬)
展覧会の目玉だったのが、“Goldenes Rössl”(金の馬)と呼ばれる宝飾品。現代では、故郷パリを離れて、ドイツ・バイエルン州アルトエッティングの教会の宝物庫に秘蔵されています。Paris・1400では、展覧会のために特別に貸し出され、およそ600年ぶりの里帰りとなったようです。シャルル6世時代に隆盛を極めた芸術品のひとつに、“Ronde-bosse”というものがあります。金属を彫って作ったオブジェクトの上から、色付けとして琺瑯(ほうろう)を流してコーティングし、まわりに宝石をたくさんあしらった、絢爛豪華な置物でした。
「金の馬」は、この“Ronde-bosse”の傑作とされるもの。
当時のヴァロワ王家では、新年に、腕によりをかけた贈り物を交換するのが一大行事になっておりました。正確には、職人に腕によりをのかけさせた、が正しいですね。
そんな風潮の中で、イザボーが1405年のお正月に、夫シャルル6世にプレゼントとして贈ったものと伝えられています。監修はイザボーです。
中心には、幼いイエスを膝に抱いた聖母マリア。国王シャルル6世、天使、聖カタリナや洗礼者ヨハネら聖人、馬を引いた従者、羊やトラなどが配してある。 出典:Paris 1400(P.176) |
この作品のことだとは書いていませんが、本書には「イザボーは難しいクライアントで、作品を気に入らなかった場合には受け取らなかったり、作り直しさせることをためらわなかった」とあります。
潤沢な資金をバックに華やかさを競い合う親戚たちに囲まれて、イザボーの態度には、ヴァロワ本家と国王夫妻の威信がかかっていたと考えられます。
職人さんたちの大変さは想像に余りあるものですが、鬼のような王妃様のせいで?超絶技巧が発展しました。苦心の末に生み出されたであろう「金の馬」は、写真だけでもずっと眺めていられるような、素晴らしい作品です。
また、作品を構成するオブジェクトの一つであるシャルル6世の小さい像は、リアリティがあります。
シャルル6世の身体的特徴として伝えられている通り、きれいな青い目をしていて、細部までのこだわりと、依頼主だったイザボーの愛情も感じられます。
「金の馬」にて、聖母子の前にひざまずくシャルル6世。目がとても青い。 出典:Paris・1400(P.29) |
スパイダーマンの話はさておき、シャルル6世は当時37歳。
浮き沈みのある精神病を発症してすでに何年も経っていましたが、1405年の新年は寛解期にあり、おそらくお正月恒例の「贈り物受け取りの儀式」にも臨席できただろうと、 "Isabeau de Bavière FRANKREICHS KÖNIGIN AUS DEM HAUSE WITTELSBACH”には書いています。
この作品「金の馬」については、まるっと一冊、専門書が出版されているらしいので、いつか手に入れてまた紹介したいです。
ところで、イザボーが旦那様にプレゼントしたはずの新年の贈り物「金の馬」が、なぜ今日バイエルンにあるのか。
それは、ルートヴィヒお兄様が、フランス宮廷側から払われる予定だった、何らかの未払い金の担保としてバイエルンのインゴルシュタットに持って帰ったから、らしいです。
大好きだったのに、最後にはイザボーと喧嘩別れする悪いお兄様です。
彼は、「金の馬」以外にもいろいろなものをバイエルンに持ち去っています。それらは“パクった”のか“預かった”のかどっち?ということについては、面白い裏話を発見したのでまた別の機会に触れるとして…おかげで「金の馬」はフランス史の動乱に巻き込まれることなく、バイエルンで静謐に時を過ごし、今日に至っているらしいです。
初めて知るお話
ほかにも、イザボーが子供たちの寝台に、宗教的なテーマの「タブロー」を吊るしてあげた話は、初めて知りました。タブローには「絵」という意味がありますが、イザボーが子供たちのために吊したのは、絵画だったのでしょうか。それとも、この時代特有の、琺瑯を使った立体パネルのようなものだったのでしょうか。立体パネルだったとすれば、下の2つの作品によく似たものだったかもしれません。
子供たちに対するのと同様、お付きの女官たちにも、イザボーはかなりの出費をしていたそうです。
「タブロー」の一つ。今ではすっかり剥がれているが、もとは花の一つひとつが琺瑯で彩色されていた。 Tableaux reliquaires de saint Geneviéveタテ8.1cm×ヨコ6.6cm 1380年~1390年頃、パリ クリュニー美術館 所蔵(Inv. CI. 23314) 出典:Paris 1400(P.61) |
イザボーが子供たちの寝台に吊した「タブロー」は、このようなものだったかもしれない。 Tableaux reliquaires de saint Catherineタテ6.5cm×ヨコ5.1cm 1380年~1390年頃、パリ ヴィクトリア&アルバート博物館 所蔵(M 350-1912) 出典:Paris 1400(P.61) |
図録をもっとじっくり見ていけば、他にもエピソードがたくさんでしょう。
何はともあれ、本書では、美術史にクローズアップしたイザボーおよびヴァロワ貴族たちの世界を垣間見ることができます。
全体的にキリスト教色が色濃く残っていて、世俗的な作品や個々人を表したものは、まだ少ないです。そして、絵や描かれる人々の顔立ちは、牧歌的で、優しい雰囲気のものが多いように感じます。
イザボーがピザンから作品集を贈呈されているイラストと同じ本に描かれている。のどかな雰囲気。 Christine de Pizan, Œuvres 1413年頃、パリ 大英図書館 所蔵 (MS Harley 4331, fol.221) 出典:Paris 1400(P.125) |
今後の開催は難しい?
展覧会が開催された2004年といえば、管理人はまだイザボーの存在も知らなかった頃です。図録は、開催から何年も経ってからネット通販で手に入れたのものです。従って、当時のこと―展覧会は日本には来たのか、西洋史好きの界隈では話題になっていたのか―はリアルタイムでは知りません。
でも、どうやら展覧会が来日した様子はありませんし、その後も似たような展覧会が来日したという話も聞いたことがありません。
日本での知名度が低いということ以上に、シャルル6世時代の美術展自体が、珍しいのではないでしょうか。
作品がフランス国内外に散逸していて集めるのが大変で、600年も経っていると維持管理も慎重になります。実際、本書のまえがきでは、「開催が実現したのは夢のような話で、関係各者の多大な尽力のたまものだった」というようなことを書いています。
また、展示の目玉である“金の馬”についても、「故郷フランスに里帰りする、おそらく最初で唯一の機会になるだろう」とも書いています。
フランス本国ですら開催がレアなのだから、日本に出張は難しいかもしれません。
でも、もし今後、似たような展覧会が開催されることがあれば、たとえそれがフランスでも、ぜひ足を運んでみたいものです。
600年の時を経て生き抜いた作品たちが、今後も末永く大切に残されていくことを、願わずにはいられません。