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パリ今昔―城壁と邸宅

2023/12/31

文化

t f B! P L
フランスは六角形の国土に18の地域圏があり、そのうちの一つイル・ド・フランスの中にパリ市があります。
2024年にはパリオリンピックが開催されるこの都市。
イザボーの時代のパリに、思いを馳せてみたいと思います。

2つの城壁

イザボーの時代、ちゃんと言うとシャルル6世王の治世のパリの特徴は、
“セーヌ川の左岸(山の手)は一重の、右岸(下町)は二重の城壁に囲まれていたこと”
と言えるのではないでしょうか。
『オルレアン大公暗殺 中世フランスの政治文化』P.164-165より
上の画像のうち、右岸・左岸にかかる小さい囲みが「フィリップ2世城壁」。
そして、右岸にだけ、フィリップ2世城壁のさらに外側を囲うように建設されたのが「シャルル5世城壁」でした。
百年戦争が始まるまでは、「フィリップ2世城壁」がパリの市壁でしたが、時代が進むにつれて人口が増加して壁の外に飛び出していて、百年戦争の防衛の必要性も生じていました。
そこで、セーヌ川右岸の「フィリップ2世城壁」の外側に、イザボーの義父にあたるシャルル5世の命令で、さらに大きな城壁が造られたのでした。

だから、イザボーがフランスに来た1385年には、出来立てピカピカのきれいな壁が、パリの街を囲んでいたはずです。

現代では「フィリップ2世城壁」も「シャルル5世城壁」もほとんど姿を消し、街角のところどころに遺構や痕跡を留める程度になっているようです。
『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』に描かれた城壁と
ルーヴル宮殿とされる城。どこから見た構図?

今よりずっと小さかったパリ

で、現代と昔の比較をやってみたかった。
でも手元の本(グネ先生の本とか、Paris 1400とか)には、中世の地図は載っていても、現代と重ねるような描き方はしてないやん。
ここで都合良く、wikipediaで「現代のパリにかつての城壁の位置を重ねた画像」を見つけました。
それがこちら。
パリ16OpenStreetMap の貢献者H. ノイゼ、A.-L. ベーテ、N. フォシェール (パリ都市空間の時系列分析)を一部加工。
 CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

ここに、現在のパリの観光名所とか、現在の区割りを入れてみます。
パリ16OpenStreetMap の貢献者H. ノイゼ、A.-L. ベーテ、N. フォシェール (パリ都市空間の時系列分析)を一部加工。
CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
全20区あるうち、「当時のパリ」にすっぽり収まるのは3区、4区ぐらいで、あとはどの区もその一部が入る程度、一番外側の区は見えもしないという結果になりました。
それくらい、当時のパリは小さかったのですね。
せっかく可愛い観光名所のフリー素材を見つけたのに、エッフェル塔も、凱旋門も、モンマルトルの丘も、サクレ・クール寺院も入らなかった(笑)

シャルル6世時代の街

一方、同じ地図に、今度はシャルル6世時代の邸宅を描き込んでみます。
いくつかの通りは、現在も同じ名前で中世のまま残されていたりするようです。
パリ16OpenStreetMap の貢献者H. ノイゼ、A.-L. ベーテ、N. フォシェール (パリ都市空間の時系列分析)を一部加工。
CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
地図のように、国王一家の住まいであるサンポール館は、新旧の壁の間の区画にありました。ほかにも、大貴族や廷臣、役人、学生、富裕層、成金、パンピー、泥棒、囚人、雑多な人々が、城壁の囲いの中の至る所に住んでいました。

作成にあたって、本と、ウィキペディアの街区のページを参考にしましたが、どこまでが建物でどこまでが敷地だったのか等、判然としないところも多々ありました。
だいたいで捉えていただければ幸いです。

そうそう、かつて本を読んでいて、イザボーの館・バルベット館があまりに大きいように思われたので(ベリーのおっちゃんのネール館と同じくらいか、それよりデカい)、管理人のおかんに見せたところ、
「レディは服がたくさん要るからねー」
とか言われました。
いやあ服が多いとかいうレベルではないと思いますが(゚д゚lll)

サン・ポール館のすぐ近くにあるポルケピック館(ヤマアラシの館)は、イザボー兄の邸宅だったとドイツ系資料には書いてあるのですが、イマイチ怪しいです。洗い直しが必要。

最後に、タップしたら切り替わる例のシステムで、パリマップをまとめてみました。

パリの地図

おしゃれで熱血な都市?

これほどパリの街の地図をまじまじと眺めたのは、人生初でした。
本当に不思議な形をしてるというか、アーティスティックな街だと思いませんか。
シテ島を中心とした街は、桃の種を割ったよう。
手相の仏眼のようでもあります。
こんなパリが、中世の昔からアートとファッションの中心地で、数百年に一回くらいの間隔でみずから惨劇をお起こしになる。
暴動はもっと日常茶飯事のようです。

ぎりぎり今年最後の投稿に間に合いました。
ではでは、良いお年を。

自己紹介

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中世末期の西ヨーロッパ史、特に王家の人々に関心があります。このブログでは、昔から興味のあったフランス王妃イザボー・ド・バヴィエールについてを中心に発信します。

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