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魅惑のロイヤル・アンティーク写真

2023/04/28

雑記

t f B! P L
「きょうだいの面影」のページで、イザボーの子供たちの兄弟構成のお話から、ロイヤルファミリーのアンティーク写真を語るという流れが不自然だったので、内容を分離独立させました。

ロイヤル・アンティーク写真

ネットサーフィンにて、19世紀後半〜20世紀はじめ、いわゆる“近代”のロイヤルファミリーの写真を見るのも、楽しいことです。

1862年、デンマーク王クリスチャン9世と家族。長男はデンマーク王、次男はギリシャ王、長女は英国王妃、次女はロシア皇后、三女はハノーヴァー公妃になる。

彼らはマメに家族写真や親戚大集合の写真を撮影していました。

コレクターのブログやオークションサイトで、無限?というくらいに出てくるこれらの写真が、とっても素敵なのですね。
その多くは、当時ポストカードやキャビネットカードとして流通し、今日まで受け継がれ、保管されてきたものでした。
それらを勝手に引っ張ってくるわけにはいかないので、本ブログには、主にウィキメディア・コモンズからの引用だけになってしまいますが。

貴族の写真は気品と威厳に満ちて、親子がニコニコしながら寄り添っているものも多くて、服装もおしゃれで、見ていると幸せな気持ちになります。

お姫様の生き方は変わらず

近代は、まだヨーロッパ中にたくさん王侯貴族たちが存在していて、複雑に絡み合った家系図のパズルを埋めるような結婚をしていました。
婚姻関係で結ばれた、イギリス王室、ロシア皇室、デンマーク王室、ギリシャ王室の人々。1889年。

かつて、フランドル女伯(シャルル6世の叔父フィリップ豪胆公の鬼嫁)とフランス王室の血縁関係を調べて家系図を書こうとしたことがありますが、あまりのややこしさに発狂しそうになり、挫折しました。
近代のそれもよく似ていて、紙の上ではとうてい書き表せそうもない、伸縮性立体構造模型でもないと再現できないような家系図が、ヨーロッパの王室にはありました。
1890年、ヴィクトリア女王の次男アルフレッド(写真中央)、お妃のロシア皇女マリア(左から2人目)、子供たちと、何人かよその人も混じった写真。娘たちのお揃いの服が可愛い。

お姫様は、故郷から離れた外国の君主に嫁ぐことも多々あって、新天地でたくさんの子供たちを生み大家族を作り上げていくという、イザボーの時代とあまり変わらない、たくましい生き方をしていたようです。
1896年のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の一家。6人の息子と末っ子の一人娘を生んだ皇后(写真一番うしろ)が強そう。
Bundesarchiv Bild 146-2008-0152, Familie Kaiser Wilhelm II
文化の成熟度、宗教観、君主制の在り方、医療や科学技術の発達具合、人の寿命、交通手段、子供観、植民地支配に、戦争のやり方・・・中世と近代では、あらゆるものが違っていたでしょう。

ただ、王侯貴族とりわけお姫様の生き方に関しては、中世からの伝統が変わらず受け継がれていたように思います。

自己紹介

自分の写真
中世末期の西ヨーロッパ史、特に王家の人々に関心があります。このブログでは、昔から興味のあったフランス王妃イザボー・ド・バヴィエールについてを中心に発信します。

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