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シャルル7世とフィリップ豪胆公

2024/01/23

家族 文化

t f B! P L
イザボー月間ですね。
管理人、ミュージカルは2月でまだ先ですが、公開直前の取材会で、ブルゴーニュのフィリップ豪胆公、イザボー、息子シャルル7世が並んでインタビューを受けている動画を拝見しました。

和気あいあいとしたインタビュー、でもシュールなあの並び。
一つ、思い出したことがあります。
史実における、フィリップ豪胆公とシャルル7世の接点についてです。
あるのか?って感じですが、一応あるのです。
ブルゴーニュ公フィリップ豪胆公と、大甥シャルル7世。
英仏百年戦争の前期・後期を象徴するような2人
豪胆公は1404年4月に62歳で亡くなった人物です。一方のポンテュー伯、つまり後のシャルル7世は、1403年2月生まれ。一緒にこの世の空気を吸ったのは、ほんの短い間のことで、豪胆公逝去のとき、ポンテュー伯は1歳2ヶ月でした。

ヴァロワ一族の重鎮である豪胆公の逝去に、フランス王家も喪に服したようです。

このとき、まだ赤ちゃんのポンテュー伯も、しっかりと黒い喪の装いをさせられていたようです。
A lui pour trois autres chappeaux de cil noir fourré de cendail, qu'il bailla dès lors que nos dits seigneurs prindrent le noir pour Monseigneur de Bourgogne, 48 sous parisis.

前述の殿方たち(※ポンテュー伯と2人の兄たち)がブルゴーニュの殿の喪に服するときにbaillaする、センダルで裏打ちされた、その他3つの黒いcilの帽子のために、48スーパリジ(を支払いました)
出典:Chronique de Charles VII(P.259)
電池を入れるところから青サビが発生して電子辞書が壊れてしまい、baillaとcilが調べられない!
ここは後日出直すとして、この情報が掲載されているのは、ジャン・シャルティエの著作“Chronique de Charles VII”(シャルル7世年代記)の巻末の補足説明です。

シャルティエは15世紀のシャルル7世の伝記作家で、同書は19世紀に出版されたもの。Googleブックスで発見しました。
巻末に、15世紀当時の史料からとってきた生の情報を、たくさん並べてありました。
「19世紀」「シャルル7世の伝記」「一次史料の羅列」とはデジャヴ感がありますが、別の本です。

本の閲覧はこちらChronique de Charles VII
Googleブックス

なんとなく、昔見た韓国時代劇で、周囲の大人とまったく同じ恰好で王様の喪に服させられて(?)いた赤ちゃんの王子を思い出しました。
赤子は免除とか、違う恰好とかじゃないんだ、と思った記憶が。

ところで、ポンテュー伯はフィリップ豪胆公のことは絶対に覚えていないと言い切れますが、豪胆公はポンテュー伯に会ったり、抱っこしたことはあるんですかね。
豪胆公が国王夫妻の子供たちとゲームで遊んだという記録も残っていることから、かなりがっつり親戚付き合いをしてたとは推測されるのですが。

何にせよ、シャルル7世としては

「おったんは子孫どもをちゃんと躾けておけ」

としか思っていなかったかも・・・しれません。

まだ少年の頃、ポワティエの戦いにも出陣したことのあるフィリップ豪胆公と、百年戦争を終幕に導いたシャルル7世。
百年戦争の前期・後期を象徴するような2人は、確かに同じヴァロワ王家の一員だったのでした。

フィリップ豪胆公とシャルル7世という組み合わせは、今以上に良いタイミングはないと思い、一本、記事でした。

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中世末期の西ヨーロッパ史、特に王家の人々に関心があります。このブログでは、昔から興味のあったフランス王妃イザボー・ド・バヴィエールについてを中心に発信します。

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